学生社長の予言
「10年、20年先を考えて研究開発を行っていく」と林原健・前社長は、よくインタビューなどで語っていたそうだ。父一郎氏が51歳で亡くなり、慶応義塾大在学中の19歳で社長就任となった。あまりにも早すぎる代替わり。経営者としての資質を育てる時間が十分では、なかったと言えばそうかもしれない。
インタビューした記者は「経営者ですが、不思議と『経営』という言葉があまり出てこないというか、どちらかと言うと『研究』という言葉の方がよく出てくる印象ですね」と振り返る。
昼前に出社して、午後2時ごろには会社を出てしまう。あとは研究に没頭するのだという。林原家は3人兄弟で、長男の健氏は、ゆくゆくは二男に経営を任せたいという希望を持っていたというが、早くに亡くなったため、三男の靖氏が専務として、経営を実質的に担っていたという。
一郎氏の死、さらには弟の死。家族の予期せぬ死によって、経営の歯車が狂う同族企業は数多く存在する。林原家も結局は、そうだったということなのか。
健氏は、かつて日経新聞社刊「私の履歴書」で次のように語っている。
「二十三歳で岡山に帰ってきた。戻る前から私は『会社を潰すなら自分の手で』と決意していた。それだけが私の唯一の武器だった」
この言葉を23歳の時に社員の前で語ったそうだ。その健氏も今年68歳。子供の頃から霊感が強かったとはいうが、まさか45年前の「予言」が現実のものになるとは思ってもいなかっただろう。