ヤオ・ミン選手(中)
両親ともプロバスケ選手だった
もともと両親とも元プロバスケットボール選手という、スポーツ一家に育ったが、姚明氏の幼いころは貧しかった。上海青年チームに入った時も、サイズの合った靴が買えなくて悩んでいたほどだ。その後、地元の上海シャークスと契約したが、当時中国のプロスポーツ界は厳しく、給料は少なかったので、自分の車さえ買えないほど質素な生活だった。この時は、自分の生活を助けるために、雑誌などに文章を書いて小銭を稼いでいたという。
姚明氏が“貧乏暮らし”から脱出できた第一のきっかけは、やはり2002年にNBAヒューストン・ロケッツに移籍したことだろう。このときの移籍金額は4年間で1780万ドル(約14億円)。初め1年間は385.8万ドル(約3億円)だった。さらに06年にも契約を更新し、この時の契約金は5年間で7535万ドル(約60億円)に上った。
プロバスケットプレーヤーとして給料を得る他に、大きな収入源は何と言っても広告だ。2000年のオリンピックから、彼をイメージキャラクターに起用する企業が相次いだが、NBAに移籍してからその勢いはさらに増していった。マクドナルドやアップル社など大手の外資企業を始め、カード会社やゲーム会社、バスケットボールシューズメーカーなどが次々に彼を起用している。