ジョージ・ソロスといえば、ヘッジファンドに限らず、投資に関わっていれば知らぬ者のいない超有名ヘッジファンドマネジャーだ。
87歳になった今もヘッジファンドマネジャーでいちばんの資産を持ち、フォーブスの発表によると、資産総額は252億円とされる。
高齢から引退したが、イギリスのEU離脱を前に現役復帰した。
ソロスに関するエピソードは尽きない。複数回に分けて、ソロスが巨額の利益をあげたエピソードを紹介したい。
戦争に翻弄、低賃金の仕事も。投資のバックグラウンドは「哲学」
ジョージ・ソロスは1930年、ハンガリー、ブタペストの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。何不自由ない暮らしをしていたが、ヒットラー、第二次世界大戦によりその運命を大きく狂わされる。
ユダヤ人のソロスはナチスによる迫害を逃れ、各地を転々とする。
その後は家族を残しロンドンに出て、皿洗い、ペンキ屋、ボーイなどの仕事をしたのち、客の入らないプールの監視員をしながら、仕事中に本を読み知識を蓄えていった。
そのときソロスはなんと哲学者になることを志していた。ハンガリーでの苦しい暮らしや、同胞が次々と理不尽に命を奪われていく様などの体験が、「生きるとはなにか」を問う哲学への興味を引き起こしたのかもしれない。
「金融の世界で数年我慢して働けば、哲学者として独立していくだけの資金を得られる」
そう考えていたが、ソロスの興味とは裏腹に彼はその投資の腕を買われ、ヨーロッパ株の調査責任者に就任する。ただし彼に流れる哲学的な思想は、その後のソロスの投資スタイルの柱となる。
ソロスは1969年に自身のロング・ショート・ファンドを立ち上げる。運用資本は400万ドルだった。
哲学と金融、投資はまったく関係ないように思われるが、「よりよく生きるとは何か」を考える哲学とは、深いレベルでつながっている。
学術的なファイナンス理論では、合理的な投資家は株式の客観的な評価額を知ることができるとされていた。そのため情報が正確であれば、市場は効率的に動くことになる。
しかし、ソロスは心酔していた哲学者の言葉から、そのような前提は成り立たない、そもそも人間は真理や現実を知ることなどできないと考えていた。
どういうことか。たとえば、強気の市場予測が株価を押し上げると、企業は低コストで資金を調達でき、業績も向上することになる。
だが、その予測の時点で企業の業績が好調ではなく、あくまでも予測に過ぎない。にもかかわらず、予測が現実を動かしていくのだ。
ソロスの考えをさらにわかりやすく言うと、市場において実体が伴わずに価値だけが高まることはある。その価値を上げているものは一体何か? そこに注目することが大事だということだ。
また、そのように実体が追いつかずに価値だけが高まっていると、いつか暴落し適正価格に戻るともソロスは考えた。
その予想は次々に的中し、ソロスのファンドは投資信託が値上がりするとひと儲けし、値下がりしてもひと儲けすることができたのだ。
1973年、ソロスは自身の会社を立ち上げた。その後は情勢の変化が起こると感じたことに、次々投資していった。
同年にアラブ・イスラエルの戦争が発生し、アメリカの軍事費が増加すると判断すれば巨大軍需企業ロッキード社の最大の外部株主になるなど、次々に行動を起こしていった。
彼のモットーは「投資が先、調査はあと」だ。市場に変化が起こりそうだとミーティングを兼ねた昼食時の会話から察したならば、即座に電話でトレーダーに売買を指示するなど、まずは迅速な行動を起こした。
すべての投資が完璧に成功したわけではなかったが、1980年代に入った頃には、彼は充分すぎるほどの成功をつかんでいた。「ソロス・ファンド」の名で始まった彼のファンドは、運用資産が3億8100万ドルに達した。初期資本のほぼ100倍である。
プラザ合意をつかんだ「ソロスの日記」
ソロスはその後、一時期の休息を経て投資の世界に戻ってくる。あまりに仕事をしすぎて、精神的にも肉体的にも異常をきたし、初めて20%以上の大きな損失を出したこともあり、3年ほど休息をとっていたのだ。
胃のキリキリするようなトレードの日々に疲れたソロスは、自身の投資に対するスタイルを変更し、投資への思考内容を日記に記録することにした。
日記をつけることは、投資に対する自身の判断を振り返ることでもあり、それにより未来の判断が正確なものになる、と考えた。
その結果生まれたのが「一世一代の大儲け」と本人が語るドル売り投資である。
1980年代、アメリカは貿易赤字の額を大きくしていた。赤字なので、ドルの需要は少ないはずである。しかし、この時期にドルは値上がりしていた。投機的な資本の流入がドルの価格を押し上げていたのだ。
値上がりしたから買う人がさらに増え、ますます値上がりという状態になっていた。
「ドルは暴落し、一気にドル安に進む」
ソロスは判断した。その根拠は、哲学に裏付けられた「実体の伴わない値上がりはいつか適正価格に戻る」という考えだ。
ドル安に賭けたソロスは、ドル安の対象となるであろう主要通貨(円、ドイツ・マルク、ポンド)を7億2000万ドル相当保有した。これはファンドの全資本を7300万ドルも上回る。
それまで「原則としてどこか1つの市場のファンドの資本の100%以上を投じないようにしている」と語っていたソロスだが、「現在の状況に応じた考え方に合わせる」と、大きな賭けに出た。
1985年9月22日、運命の日が来た。アメリカのベイカー財務長官はフランス、西ドイツ、日本、イギリスの財務閣僚をニューヨークのプラザホテルに招集。これらの先進5カ国は、ドル安の実現に向けて通貨市場に協調介入することを約束した。
このプラザ合意により、ソロスは一晩で3000万ドルの利益をあげた。
ソロスの動きはこれだけにとどまらず、一気に攻勢をかけた。プラザ合意後の数日間、ソロスは円とドイツ・マルクの保有高を2億900万ドルにし、ドルのショートポジションを1億700万ドルに増やしていた。
その後は5億ドル相当の円とマルクを買い足し、ドルのショートポジションも3億ドル近くに増やした。
プラザ合意により、8月から12月までの4カ月で、ソロスのファンドは35%成長し、2億3000万ドルの利益をあげた。
今回の高い業績寄与に貢献したのは日記だ、そう確信したソロスは「これは1人の作家が受け取った印税としては最高額だろう」とジョークを飛ばしている。日記の内容は、後日本当に出版もされた。
※2017年10月23日 更新
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