105億円使い倒した御曹司の心の闇(1)

理想の上司だった頃

 1988年、東大法学部を卒業した意高は、大王製紙へ入社した。故郷の愛媛県にある三島工場で働くことになった。暴れん坊の父ではなく、長身で美人との誉れ高い母に似た意高だが、遊ぶことなく身を粉にして働いた。それは、遊ぶ場所や時間がなかっただけなのか、本当に仕事に没頭したからかはわからない。

 しかし、当時の工場長が主催する勉強会は、皆勤だったそうだ。将来はトップになることはわかっており、3年目にはすでに次長に昇進していた。誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰宅。仕事に明け暮れるも充実していた日々ではなかっただろうか。

 会議でも積極的に業務改善の提案を出し、また、自らの地位に驕ることなく、周囲の声にも耳を傾け、実力だけでなく人望も厚かったという。赤字だった家庭用部門、つまりティッシュペーパーのエリエールをヒットさせ、黒字化するなど目に見えた成果も残した。

 かつての部下は「いつもわれわれを気遣って、よく酒を酌み交わして会社の将来を語り合ったこともありました。会長がトップの時代が来れば、会社は必ず変わる、という期待を持って仕事をしていました」と証言している。

 圧倒的なカリスマ性を持ち、ともすればワンマンの父・高雄とは違い、的確な判断力に加えて高い人望を持つ意高は、まさしく「理想の上司」だっただろう。

 しかし、その期待は完全に裏切られることに。たかが、バクチが人間を変えてしまったのだ。(敬称略)(つづく)

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