ただのビル群だけは避けたかった
貨物駅の移転先が府北部の吹田市などに決まるまでに10年超かかり、全体構想をまとめる国際コンペにどりつくのに15年もかかった。
また、“街”をつくるための苦労もあった。土地の所有者は鉄道建設・運輸施設整備支援機構で、国鉄債務返済のため高額売却が義務付けられている。だが、そのルールどおりに売却されてきた東京の旧国鉄所有地は、ビルだらけに。
「大阪駅の真北だけに、大阪を象徴する場所になる。ただのビル群にしてはいけないという意見が多く、高値売却のしばりを部分的にはずすために知恵を絞った」(関西財界関係者)という。
街の目玉として、中央部分に先端の研究機関が入居できる「ナレッジキャピタル」をつくることを目指し、街づくりの公的機関である都市再生機構(UR)に中央部分を先行取得させ、URが参画する仕組みをつくったのだ。その後に最終開発主体に売却するというウルトラCを実現し、ナレッジ部分だけは格安で運営できるようにした。
三菱地所が事業主体に決まり、ほかに11社が参画して開発の行方が安定したのは2006年のこと。「ついこの前」と、深く関わってきた関西財界関係者は振り返る。
ただ、土地取得費だけでも、4000億円近くを要したとも言われる巨大プロジェクトで、2008年末のリーマンショックで暗雲が立ち込め、当初の2011年春の街開き予定が、大幅に遅れた。