『開成番長』が語る、ギャンブル漬け人生【4】


開成高校2年生時の繁田和貴氏
 東京都杉並区にある個別指導塾TESTEA塾長の繁田和貴氏は、東大を目指す 「男子御三家」のひとつ開成中学・高校から東大へ進学というエリートコースを歩む一方で、ギャンブル漬けの生活を送り、開成の異端児『開成番長』として名を馳せた破天荒な人物でした。「開成番長の勉強術」「開成番長の記憶術」(共に白夜書房)などの著書があり、若きカリスマ講師として受験界で注目を浴びる繁田氏に、波乱万丈な人生や教育論などについて伺いました。

塾創設当初は苦労の連続?

 東大卒業と同時に一念発起して塾を始めました。2006年の夏に開校しましたが、当時は何のノウハウもない状態でサポートしてくれる経験者もいなくて、全部自分たちで一から作り上げていきました。久我山は土地勘はないのですが、都立西校や国学院久我山などの進学校があり、教育に熱心な土地柄ということや、駒場東大前から井の頭線一本で来ることができて近くには東大の三鷹寮があるなど、東大生講師を確保しやすいと考えて選びました。

 教育理念の核は、自分の苦い経験から「目的に向かい、目標を立てて頑張る力を育てる」ことです。今もこの理念を守り続けており、今ではこの理念に賛同する講師が50名以上も集まってくれています。講師は現役東大生がメインです。
 
 しかし、立ち上げた当初は、不勉強すぎてパソコンの使い方からあまりよくわからない。もちろん生徒の集め方なんて分かるわけもなく、見よう見まねで小さなセミナーを開いたり、ビラを配ったりしていました。まずは塾を知ってもらわないと仕方ないので体験授業は4回用意し(現在でも90分×2コマの体験授業)、首を長くして問い合わせを待ちつつ、休む間もなく準備に励んでいました。

 この頃はパチスロプロ時代の貯金を切り崩す生活で、ハードさの割に稼ぎはゼロ。体力も貯金もどんどん目減りしていきます。パチスロに戻りたくなる誘惑をぐっとこらえ、「ここを乗り越えなかったら何も生み出せない」と自分と戦い、久我山の5坪の教室にこもる毎日でした。

 そうこうしているうちに、地元のお母さんが飛び込みで塾の扉を叩いてくれました。第一号生候補です。しかし過労から僕の体力はもう限界に近い状態。朝病院に行って点滴、午後に授業、そんなことを4回くり返しました。とにかく必死でした。「まずは一人、思いに賛同してもらいたい…!」

 その気迫が伝わったか、2006年8月、嬉しい一人目の塾生が誕生しました。その瞬間の感動は今でも忘れません。構想から半年、物件を借りてから3ヶ月、今振り返ってもこの期間は本当に長く感じたものです。その頑張りが一つ、形となって報われた瞬間でした。そのあとは口コミやチラシから段々と反応がきはじめて、徐々に生徒数が増えていきました。

 事業として軌道に乗り始めたのは1年ぐらい経ってから。2007年夏に、それまでの3倍以上の広さを持つ教室を新たに借りました。そのとき真っ先にお祝いのお花を持ってきてくれたのは、その第一号生でした。その生徒は今でも通っています。こういうのはビジネス抜きで本当に嬉しいものですね。

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