発売5カ月で8万部を突破した「バカでも年収1000万円」(ダイヤモンド社)の著者、アライブ取締役の伊藤喜之氏は、自らを“バカリーマン日本代表”と呼ぶ。偏差値30、学歴やスキルがなくても、年収1000万円を実現させた伊藤氏の、おバカでも年収1000万円どころか3000万円も夢ではないという「バカ6大奥義」、そして奥義が生まれたユニークな過程を紹介する。
勉強はまったくしなかった学生時代
中学の部活でソフト(軟式)テニス部に入った動機は、見渡す限り女子ばかりだったからです(笑)。『スラムダンク』の影響で、あまりに入部希望者が多かったバスケ部を早々に諦め、即、ソフトテニス部に入部しました。
でもテニスが合っていたのか、練習に没頭しました。日が暮れても練習、休日も自主練、朝練も勝手にやっていたら、学校からめちゃくちゃ怒られて、僕のせいで部活時間の制限が厳しくなった。でも隠れて練習したり、スクールに通ったりして、最終的には中3の最後の大会で、県大会ベスト8、東海大会を愛知県代表で出ることになり、地元では何十年振りかの快挙だったらしいんですよ。さんざん、僕に部活をやるなと言っていた先生が、東海大会に出たら手のひら返しで「おまえ、がんばっていたよな」と言われたときは、思わず苦笑いでした。
中学校は学年で約260人いましたが、230~250位をうろうろしていました。公立中学でそのレベルなので、実質的には一番下といえますね。しかし、東海大会に出た実績からスカウトされて、スポーツ特待生として高校進学しました。家族からは、スポーツ進学は怪我したら終わりだと猛反対されましたけれど。
高校は私立でしたが、特待生は体育科というクラスで寮生活でした。6時起床、朝食後に朝連が7時から。9時から授業開始、夕方の4時に授業が終わって、4時半から9時ぐらいまで練習、夕食後に寮に帰って寝るというスケジュール。当然、授業中の体育科は、みんな寝ています。このスケジュールですから、高校時代はまったく勉強はしませんでした。というより、勉強などする時間がありませんでした。