数人で動かしていた日本のフェースブック
仲さんは、父の職業の関係で家庭にパソコンが何台も置いてある環境に育った。子どもの頃からパソコンいじりは日常で、現在の素地が生まれていた。
京都大学経済学部を卒業し、ゴールドマン・サックスに入社した。「インターンに行って、女性も平等に働く環境が憧れました」という。 2008年度入社。ちょうどリーマンショックの年だ。
海外の機関投資家らを相手にセールスしていたというが、やっていくうちに「お金は動かしているけど、物を生みだしていない」という点が引っかかったという。女性でも平等な立場で働かせてくれた古巣に感謝しつつ、2010年に別れを告げた。
実は仲さんは、自分でサイトを運営していた。絵を投稿するというサイトで「ビジネスモデル化が難しかった。やっぱり、金融上がりのウェブ好きが作った程度の物だったので、イマイチだったのでしょう」と振り返る。
それと同時に、縁もあってフェースブックの日本法人に導かれるように入った。しかし、サイトの運営との両立は難しくなり、畳んでしまった。フェースブックは2010年の時点では、まだ、日本でもあまり知られていない。
設立間もない会社らしく狭いビルの一室で、わずか数人が朝から晩まで何から何までやった。そこで学んだことは大きかった。仲さんは、すぐに行動に移した。